「two hearts」
  Photo by SHUTTER CHANCE
         


☆ 現実・・・ 

でも悲しいかな私は3児の母。しかも専業主婦。
旦那は単身赴任。姑は口うるさい。
という4重苦?をかかえて、いかにこの想いを消化させるか?

1、CDはレンタルかリサイクルでゲットする。
2、ライブには行けないのでネタバレBBSを読んで行った気分にひたる。
3、ライブ中継はTVで録画する。
4、ファンクラブにははいらない。
5、情報はとにかくネットで入手する。

などで、乗り切ってきた。
そしてこの春。「末っ子が高学年になったら仕事を再開する」という約束の時が
やってきた。

 


☆ 夢の実現 

自分のお金を得る。これは私にとってイコール、ライブに行く、CDを買う、
FFに入会するであった。
今まで「コソコソ」とファンをやっていた私はこれで堂々とフミヤファンと公言できるのだ。
ほんのひとかけらではあるが、陰でフミヤを支えていると言えるのである。

そうと決まれば後は仕事探し。
条件。 家から近く昼休みに帰宅できる。または何かあった時に駆けつけれる。
できれば職種は事務。時間は学校が終わる3時まで。
この条件を満たした求人が私の目にとびこんだのは2月の末だった。

ただし・・・私は、年齢制限を6才も過ぎていた。

でもこのチャンスを逃す手はない。
私は持ち前のパワーでTELをかけ「一応履歴書を持ってきてください」との言葉に
喜び勇んで面接にでかけたのだ。
そしてその熱意と迫力?のお陰で、私は初めての応募にして採用を手にした。
こうして私はライブへの道を手に入れたのだ。(おおげさ・・・)

仕事で嫌な事があったり、ミスをして凹んだりしても「フミヤのために」頑張った。
そして入社6ヶ月がたった奇しくも今日、フミヤからのメッセージが着いたその日に
社長から「よく頑張ってくれてるね!」とお褒めの言葉をもらったのだ。

 


☆ 初ライブ 

初めてのライブの時がきた。3ヶ月前にチケットを求め、指折り数えて待ったその日。
なのにその『運命の日』は、あと1週間という時になってフミヤの怪我のため
2ヵ月半の延期となった。
そして偶然にもそれは楽日となった。この偶然を喜んではフミヤにも
他のファンの人にも申し訳ないのだけど、ある意味これは神様からの
プレゼントかもしれないと思った。
初参加にしてフミヤと乾杯ができるこんなラッキーを手にしたのは
もしかしたら私1人かもしれない。(あつかましい錯覚だとは思うが・・・)

これからもフミヤと歩いていこう。
「俺とみんなの繋がりが切れることはない。
あるとしたらそれはみんなが俺に飽きるときかな」
そんなことを言うフミヤが憎らしくもあり愛しくもある。
彼は本当にいちいち言う事がニクイ。

いい年をしてフミヤにぞっこんな自分に我ながらあきれているが、
20代から40代まで(私の知る限り)のファンの心を掴んで離さない
フミヤの虜に、私はこれからもよろこんでなり続けるだろう。
いい事も悪い事もすべてを受け入れて、マイナスのパワーを
プラスのパワーに変える、そんな素晴らしいフミヤにこれからも
ずっとずっとついていきたいと改めて思う。



  2002年 8月21日 記

ABOUT FUMIYA



☆ 会報 9月号 

今日(8/21)、会報が届いた。
怪我をしてからはじめての会報。
封をあけると別刷りでフミヤからのメッセージが同封されていた。
メッセージを見て、じんとなった。表紙のフミヤの顔を見ると余計心にしみた。
ファンになって以来こんな切ない気持ちになったのははじめてかもしれない。

FFの会報は中身が濃い。
中でも私の1番のお気に入りは悩み相談コーナー。
フミヤの回答が、とにかくいい。
親身になって答えてくれるのはもちろん、ニクイほどに的を得ている。
これを読むたびに、ワンランク『大好き度』がアップする。
他の部分においてもファンとフミヤが共同で作っていくという趣向の会報は、
多分FFならではではないだろうか。

そういう私は実はFF歴まだ半年である。
第一、ファンになってまだ4年。
最初の1、2年は、なんとなく「いいなぁ〜」ぐらいだった。
前述したように、私のファン度はフミヤを知れば知るほど増していったのである。

 




































































































































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