祝☆彡デビュー20周年&ソロデビュー10周年

2003年はフミヤくんがチェッカーズとしてデビューしてから20年、
藤井フミヤとしてソロデビューしてから10周年の年にあたる。
で、僭越ながらファン歴4年の私がチェッカーズ・フミヤくんについて語ってみたりします。
っていうか私の記憶にあるチェ・フミヤを拾い上げただけのものですが(^-^;
ま、たわごととして読み流してください<(_ _)>


チェッカーズデビュー(1983.9)

  当時私は23才。2つ年下のフミヤくんは21才だった、はず(笑)
  でもTVで見たフミヤくんはどう見ても17・8才に見えた。
  よってファンになることもなく、あの一世を風靡した『チェッカーズカット』と『チェックの衣装』に
  「ふうん」と思っただけの自分だった。
  でも口の開け方が個性的だなぁ〜と思った記憶が(笑)

  私の記憶にあるのは「ギザギザハート」「涙のリクエスト」「星屑のステージ」ぐらい。
  その後25才で結婚するまでの間私は自分の人生に忙しく、多分歌番組なんかもあまり見なかったと
  思う。「あの娘とスキャンダル」に至ってはしぶがき隊の歌だと思っていたくらい(;^-^A
 
  25才で結婚した私はその年1985年に埼玉に転勤になり、1987年から1991年までは台湾で暮らした。
  その間衛星放送は見れたけど、台湾で第1子2子を出産し育児に追われていたのでチェッカーズの後期は
  全く知らず『チェッカーズ=アイドルバンド』と思っていた。

チェッカーズ解散。フミヤソロデビュー(1993.11)

  この時期は日本には帰国していたけど1993年に息子が生まれてからはまたまた育児に忙しくTVを見る暇もなし。
  でもさすがにあの名曲『TRUE LOVE』だけは知っていた。
  「あすなろ白書」は見てなかったけど、後にコミックも読みレンタルでドラマも見、結構ハマッた(笑)
  とんねるずの『ハンマープライス』という番組で『フミヤくんに結婚式でTRUE LOVEを歌ってもらうう権利』を確か100万円で
  買った人がいて、それだけはハッキリ覚えている。
  100万円は確かに高いけど。。。いいなぁ。羨ましい!と思った自分。
  その頃とんねるずの憲さんの船上結婚式でフミヤくんがTRUE LOVEを歌うと聞いて「かっこいいー!!」と思った。
  結婚式は取材が許可されていなくて、船で船を追いかけながら中の映像を撮っていた特番で
  「TRUE LOVE」を歌うフミヤくんを 見たような記憶がある。(記憶違いだったらスミマセン。) 
  かっこよかった!

1994年ごろ??「涙のリクエスト」

  何かの歌番組で「涙のリクエスト」を歌っていたのを聞いた。
  なんだかチェッカーズの時と全然イメージが違って、声にものびがありすごくよかった。
  (決してチェッカーズの時がヘタだったわけではないけど。)
  ちょびっとだけファンになった(笑)
  CMとか歌番組でたまたまみかけた時は「いつ見てもかっこいい人だなぁ」と実は思ってた。
  NONNONの「恋人にしたい有名人」とか「結婚したい有名人」「抱かれたい有名人」で常に
  上位に入ってるのも何気にチェックしていた(笑)

1994年 マリノCM パパとしてのイメージ

  日産のマリノという車のCMで小さな男の子と共演していて、いいパパというイメージがあった。
  私にとってはチェッカーズの頃のフミヤくんと今のフミヤくんは、別人のように見える。
  みかけだけじゃなく、尖っていた部分が丸くなり、かといってオヤジになったわけでもなく。
  大きく包み込んでくれるような優しさが感じられる。
  これはやっぱり結婚して奥さんと子供に囲まれてるから故のものなのかなぁと思うと
  ちょっぴりジェラシー。
  でもいつまでもかっこよくてオヤジ臭くならないのは奥さんのおかげかも。
  と実は奥さんに密かに?感謝している。
  「家に帰って家庭料理を食べるとほっとする」とフミヤくんに言わせる奥さんにはやはりかなわない。
  (もともとはりあえる訳もないけど・笑)

1998年 「わらの犬」

  子供達も大きくなり小5.小3.年長となる。1996年に末っ子が入園してから短時間の
  バイトに行くようになった私は
  やっと自分の時間も持てるようになり、夜ドラマなど見てはバイト先で友達と喋るのも
  楽しみの1つだった。
  友達と言ってもフリーターの男の子は20才とか18才。
  彼は当時やっていたのりぴーの番組(星の金貨?)がお気に入りでその話がメインだった。
  週に何本か連ドラを見ていて「ラブとエロス」はその中の一本に過ぎなかった。
  別ページでも書いたようにその年の年末ライブの中継を見て、いきなりフミヤの魅力にハマる。

1999年
  PCを購入。動機はフミヤ公式サイトが見たいから。
  旦那には「この時代小学生でもPC覚えなきゃ。家にはPCが必要。」
  結構あっさりとOKが出た時はニンマリ。

2001年
  PCを買った当時は公式サイトを見たり、フミヤくん関連の記事を見たり曲を視聴したりで満足していた。
  (当時は時間制にしてたので子供達には時間が足りなくなるからと制限しつつ夜中にこっそりアクセスしていた・笑)
  2〜3件のファンサイトにもたまに書き込みをしたりもしていた。
  そのうちの一件のサイトの掲示板に「ラブとエロスでファンになったんだけど、ドラマを録画してなくて
  レンタルにもなくて困っています。誰か持ってませんか?」とカキコしたら、そこの管理人さんが「私が
  ダビングしてあげる」と言ってくれ涙がでるほど嬉しかった。

2002年
  何を血迷ったか「私もファンサイトを作ろう!」と思い立った。
  PCの知識はゼロに近いし、メカに弱い私。
  確かPCを買ったときに付いていたCD-Rに「HPビルダー」なるものがあったような・・と出してみる。
  1つは自分も今遊びに行っているファンサイトの管理人さん達みたいに、素敵なファンになりたい!という思い、
  もう1つは1人でかっこいい!と言ってるよりもみんなでかっこいい!と共感しあいたいという思い、
  あとは「私はこんなにフミヤくんが好きなんだ!」と叫びたい思い。 (どれもかなりジコチュー。)
  もちろんフミヤくん関連以外で出会った人たちとも引き続き交流していきたい。
  と思った時自然と「Stay with me」のタイトルが思いうかんだ。
  「これだ!これしかない!!」と勝手に決断(笑)
  こうしてこの雑多なサイトは誕生した。
  思い立ったのが6月。にもかかわらず
  どうせなら7/11のフミヤくんの誕生日に開設をめざそう!と今考えるとむちゃくちゃ無謀なことを
  考えたのであった(^-^;

2003.6 「チェッカーズ 〜もうすべてを話そう」
  こんなタイトルを見たら誰だって読んでみたいと思うだろう。
  元チェッカーズ 高杢氏のこのエッセイにはチェッカーズ解散の真相が明かされているという
  ふれこみだった。

  私にとっての『チェッカーズ』は、解散後8年たってから初めて買った3枚組のベストアルバムと
  「FINAL」のビデオの中にしかなかった。
  「FINAL」を見た時、私の中にあったアイドル・バンドというイメージはくつがえされた。
  チェッカーズ後期の曲は全て自分達のオリジナル。演奏も素晴らしく完璧なバンドだった。
  ラストであるこのライブは鳥肌がたつほど素晴らしかった。
  それはそれとして、私は自分が好きなのは今いるフミヤであって、チェッカーズの時の藤井郁弥を
  知りたいと思ったことはなかった。
  でもワイドショーで取り沙汰されるその内容は「フミヤは金に汚い。印税が欲しいから
  恩師を裏切って自分で曲を作るようになった。その上わがままで自己管理ができていない。」
  などさんざんなものだった。
  多分に脚色されているのがワイドショーの常、これはやっぱり本を読んで真実を知るべきだ、と
  友達に借りた。(悪口が書いてある本に印税など払いたくないという意固地な性格ゆえ。)
  そして残念ながらその内容はワイドショーで見たものと大差なかった。
  加えて「少年時代からフミヤは腕っぷしの強い杢さんに対していつも顔色を窺いながら接していた」
  というような記載さえあった。
  当然フミヤファンの間では高杢批判があがりBBSには中傷カキコが相次いだ。
  なんでかつての仲間が、美しく解散したチェッカーズのイメージを壊すような事をしなきゃいけないのか。
  チェッカーズのファンでなかった私でさえこう思ったのだから、20年間ファンだった人は尚更だっただろう。

  同じ郷里からでてきて喜びも苦しみも共にした10年間を何故こんな形で汚さなくてはいけないのか。
  杢さんが「俺はチェッカーズにいる意味がない。チェッカーズをやめたい」と言った時、「モクがいないと
  チェッカーズじゃない」と引き止めたのはフミヤだというのに何故かこの本では悪者。勝手に解散を
  言い出したかららしい。確かに杢さんにとっては裏切りともとれたかもしれない。
  ならどうしてその時腹を割って 納得のいくまで話し合わなかったのか。
  そんなことを今更私達が言ったところでどうしようもない。
  フミヤ本人は弁明会見なんてもちろんしない。
  悔しい気持ちで悶々としていた翌月、41歳の誕生日にフミヤは公式BBSにこう書き込みしていた。
  
 
  人生いろんなことがあるけど自分に自信を持って生きてるから大丈夫だぜ。
 
  弁明もせず杢さんを責めることもしない。
  なんだかフミヤくんのその一言で私までが全てを許せた気がした。
  そしてフミヤくん同様、「杢さんにはこれからもずっとずっと健康で長生きしてほしい」と
  願えるようになった。

  チェッカーズデビュー20周年にあたる9月21日、フミヤは故郷福岡で、
  チェッカーズの楽器陣である『アブラーズ』は東京でライブをすることになっていた。
  前日の9月20日の公演がフミヤの体調不良のため中止になったため、実はこの日のライブも決行
  されるかどうか危ぶまれていた。そしてみんなの祈りが通じたのか無事決行。
  この日のライブは記念日なのだから是非決行してほしい、というファンの声が多い中
  無理してまで決行してほしくないと思った私はやはりチェッカーズに対する思い入れがないからだろうか。
  でもその日のライブの様子を聞いて、この日に決行できて本当によかったと思った。
  記念すべきこの日のライブは、参加できた人にとっても参加できなかった私達にとっても
  きっと忘れられない1日になったことだろう。

  福岡ライブに参加したやけちゃんから、素晴らしいライブレポを頂いています。
  やけちゃん どうもありがとう☆彡
  
 

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